SNS依存について考える
私は結構重度のSNS中毒だと思う。
暇さえあればiPhoneの画面を眺めている。
主に友人と繋がるためのツールとして使っている。
自分の日常を発信したり、相手の投稿にコメントをしたり。
物理的に離れた場所に暮らす友人達とも
気軽にコミュニケーションを取ることができることが嬉しい。
でもInstagramでは、画面をスクロールしていくと、
自分がフォローしていない人の投稿も紛れている。
自分の趣味やライフスタイルに合わせた広告も。
画面を見ているうちに、いつの間にか
自分が何かを知りたいから、見たいからではなく、
よく分からない義務感から、
画面をスクロールしている自分がいることに気が付く。
好きでもない芸能人の投稿や、全く知らない誰かの写真を
無意識的にただぼんやり見ていることもある。
ふと我に返って時計を見た時に1時間経っていたりすると、
何やってんだ!と、心底自分にガッカリする。
この1時間は、もっと有益な使い方ができた1時間。
こんな日が1週間続くだけでも大きな機会損失だ。
では、頭では分かっていることをなぜやめられないのか。
それは「FoMO」が原因なのかもしれない。
Fear of Missing Out=見逃すことの恐怖
四六時中ネットやSNSと自分を接続しておかないと、
情報やチャンスを逃してしまうと感じること。
前述のよく分からない義務感は、
実は「自分だけ知らない情報があったらどうしよう」という
恐怖心からきているのかもしれない。
Youtube、Facebook、Instagram、Snapchat、LINE...
誰でも気軽に自由に投稿できるツール。
SNSを介してどんどん手軽でインスタントになっていく
私たちのコミュニケーション。
最近では、24時間で消えてしまう投稿だって存在する。
自分のパーソナルな時間さえも常にSNSで溢れている。
そんな日常の中で、
義務感から画面を眺めるのは
私だけではない気がする。
ただなんとなくで眺めるiPhoneの画面からは、
自分自身にとって大切なアイデアや発想は生まれない。
ダラダラSNSに依存している時間を、少しでも有益な時間に置き換えたい。
同じ1時間を過ごすなら、自分にとってhappyな1時間にしたい。
ずっと部屋に置いていた雑誌を読もう。
1日を振り返りながら日記を書こう。
その日感じたことをブログにしよう。
「そういえば最近早起きできてなかったな。」
「週1でいいからストレッチしたいな。」
「今週末はずっと気になってた図書館に行こう。」
SNSから開放されると、途端に私は自分のことを考え始める。
自分の生活や、今の自分に集中できるようになる。
必要のないモノを減らす断捨離も大切だけど、
必要のない情報を減らすデジタルデトックスも今の私には必要。